この連載はフィクションです。登場人物・出来事は創作です。著者名の星野澪は本メディアの創作上のペルソナです。

 この国には、暦がある。  立春も、一粒万倍日も、厄年も、誰かが決めた区切りだ。  その区切りを、ただの迷信として通り過ぎる人と、  自分の一年をそこで折り返す人がいる。──これは、後者の図鑑である。

▶ 前回:〈個人年8〉の一年。彼女は初めて、人にお金を貸さなかった


冬至の朝の光は、部屋の奥まで届く。

太陽の高さがいちばん低いから、窓から差す光が水平に近い角度で入ってくる。夏には手前の床までしか来ない光が、この日は壁際まで届く。

けいこがそれに気づいたのは、五十を目前にした年の十二月だった。

台所の床に、細長い日だまりができていた。

一年、かけていない番号

けいこは四十九歳で、川崎の物流会社で総務をしている。

実家は静岡にある。母が七十六歳で、ひとりで暮らしている。父は六年前に亡くなった。

最後に電話をしたのは、前の年の十二月だった。

きっかけは、父の遺したものの整理をめぐる話だった。細かい経緯は、もう思い返したくなかった。電話口で言い合いになり、それきりになった。

「怒ってるわけじゃないんです。もう。ただ、かけるきっかけが無くなって」

秋に、職場の同僚の真理にそう話したことがある。

一年というのは、そういうふうに過ぎる。

冬至という日

冬至は、二十四節気のひとつだ。

一年でもっとも昼が短く、夜が長い日。北半球では、太陽の南中高度がいちばん低くなる。十二月の下旬にあたるが、日付は年によって動く。

冬至を説明するときは、二つを並べて言うとわかりやすい。

この日が、一年でいちばん暗い。 そして、翌日から明るくなり始める。

これは象徴ではなく、観測の事実だ。冬至を過ぎると、昼の長さは毎日わずかずつ延びていく。底と折り返しが、同じ一日に重なっている。

一陽来復という言葉

この構造に、昔の人は名前をつけた。

一陽来復という。陰が極まったところに、陽がひとつ返ってくる、という意味の言葉だ。もともとは中国の古い書物にある言葉で、日本では冬至の頃に使われてきた。

冬至にかぼちゃを食べる、柚子湯に入る、といった風習も各地にある。栄養を摂る、体を温める、という実用の面もあっただろう。

ただ、この物語で目を留めたいのはそちらではない。

いちばん暗い日を、暦がわざわざ名指しして記録しているという事実のほうだ。

一年のうちで最も底の日に、人が名前をつけて、行事を置いて、毎年繰り返してきた。底を無かったことにしなかった。

その朝、彼女がしたこと

台所の日だまりを見ていたとき、けいこはカレンダーを見た。冬至、と小さく印刷されていた。

「今日がいちばん短いんだ、と思って」

そして、こう思った。

「じゃあ、今日より暗くはならないんだ」

彼女は携帯を手に取り、実家の番号を押した。朝の七時半だった。

母は三回目のコールで出た。

何を話したか

「なんにも話してないんです、実は」

あとで真理に聞かれて、けいこはそう答えた。

天気の話をした。静岡は晴れていると母が言った。こちらも晴れていると答えた。かぼちゃを煮たかと聞かれて、まだだと答えた。

五分ほどで切った。

一年ぶんの経緯には、どちらも触れなかった。

「触れなくていいと思ったんです。触れたら、また一年かかる」

底にいることと、下がっていること

底にいるとき、人はしばしば、自分はまだ下がり続けていると思い込んでしまう。

その二つは違う。

下がっている最中は、どこまで行くか分からない。だから怖い。けれど底というのは、もう下がらない地点のことだ。同じ暗さでも、意味がまるで違う。

問題は、渦中にいる本人には、それがどちらか分からないことだ。

暦は、そこに一本の線を引く。今日が底だ、と外から言ってくれる。当たっているかどうかではなく、線があること自体が働く。

けいこの一年が本当に底だったのかどうかは、分からない。彼女にも分からないだろう。

ただ、彼女は電話をかけた。

それから

翌年の春、けいこは静岡に帰った。

父の三回忌のときには行かなかったので、七回忌が初めてになった。母とは、まだ少しぎこちない。

「一年ぶんは、埋まらないですよ」

真理にそう話してから、彼女は続けた。

「でも、また一年空けるのはやめようと思って」

今年の冬至に、ひとつだけ

冬至の日付は年によって変わる。国立天文台が毎年公表している暦要項で確認できる。

その日にやることは、ひとつでいい。

一年、連絡していない相手を、ひとり思い浮かべる。

かけるかどうかは、決めなくていい。思い浮かべるだけで終わってもいい。

冬至は、何かを始める日というより、底を確認する日だ。底を確認できると、そこから先は延びていくとわかる。

一年でいちばん短い昼は、いちばん長い夜と同じ日にある。そして翌朝から、光は少しずつ戻ってくる。

けいこの台所には、今年も細長い日だまりができるはずだ。


開運図鑑は今回で最終回です。十の物語と、十の暦。読んでくださってありがとうございました。第1回は手取り19万の彼女が、給料日を〈新月〉に合わせた話から。

✦ この記事のまとめ

冬至は一年でもっとも昼が短い日です。同時に、翌日から昼が延び始める折り返しの日でもあります。

底と折り返しが同じ日だという構造は、暦が長く伝えてきた考え方です。49歳の彼女はその朝、底にいる自分を責めるのをやめました。