この国には、暦がある。 立春も、一粒万倍日も、厄年も、誰かが決めた区切りだ。 その区切りを、ただの迷信として通り過ぎる人と、 自分の一年をそこで折り返す人がいる。──これは、後者の図鑑である。
▶ 前回:同期が先に昇進した秋。彼女は〈五行〉で、自分の”稼ぎ方の型”を知った
売り場の照明の下で、ゆかりは同じ財布を三度手に取り、三度戻した。
一月の百貨店だった。革の匂いがして、店員は少し離れたところで待っていた。手にしていたのは、濃い茶色の長財布で、値札は四万八千円だった。
前の財布は、六年使っている。角が擦れて、白く色が抜けていた。
替えどきだ、とは思っていた。今年は厄年だから、なおさら替えたほうがいい、と友人に言われてもいた。
それでも、三度目に戻したあと、彼女は売り場を出た。
数え33という年
ゆかりはその年、数え年で三十三になった。
女性の大厄とされる年齢だ。数え年なので、生まれた時点で一歳、以降は元日ごとに一つ足す。満年齢とは一つか二つずれる。ここで混乱する人がとても多い。
神崎は──私は神社と浄化の作法を扱う仕事をしているので、厄年の相談を毎年たくさん受ける──この時期になると、同じ質問を何度も受ける。
「厄年って、何を買えばいいんですか」
厄除けの品を買う。財布を新調する。お守りを受ける。長いものを贈られる。地域によっていろいろな言い伝えがある。
ただ、私は「買う」話から入らないようにしている。
厄年に何が起きているのか
数え三十三、男性なら数え四十二。この年齢に何があるのかを考えてみると、たいていの人にとって、荷物がいちばん増えている時期にあたる。
仕事では中堅になり、判断を任される。家では親の年齢が上がり始める。結婚や出産、住宅、転職。人生の重い決定が、この十年ほどに集中しやすい。
体力は、二十代の感覚のままではない。
厄年という言葉が何百年も残ってきたのは、この重なりを言い当てているからだ、と私は考えている。災いが降ってくる年ではなく、もともと荷物が多い年なのだと。
そう考えると、備え方の向きが変わる。
荷物が多い年に、さらに何かを買い足すのは、実は理にかなっていない。
三度戻した理由
ゆかりに、なぜ財布を買わなかったのかと聞いた。
「高いから、じゃないんです」
四万八千円は、出せない額ではなかった。彼女は都内の医療機器メーカーで、経理の主任をしている。
「三回目に持ったとき、これ、置く場所が無いなと思って」
家に、使っていない鞄が七つあった。買ったときは気に入っていたものばかりだった。財布も、六年前のものの前に、二つ引き出しに入ったままだった。
「増やす場所が、もう無かったんですよね」
一年かけて手放したもの
その年、ゆかりがやったのは買い物ではなかった。
一月に鞄を三つ手放した。三月に、着ていない服をまとめて出した。六月に、使っていない銀行口座を二つ解約した。九月に、惰性で続けていた月額サービスを四つやめた。
十一月には、十年続いていた同窓の集まりの幹事を降りた。
「厄除けのつもりでやってたわけじゃないんです。財布を買わなかった日から、なんとなく、置く場所を作るほうが先だなと思って」
月額サービスの解約で、年間で四万円ほどが浮いた。買わなかった財布とほぼ同じ額だった、と彼女は笑っていた。
古いお守りだけは、返した
ひとつだけ、彼女が神社でしたことがある。
引き出しの奥にあった古いお守りを、四つまとめて返しに行った。どれも五年以上前のもので、どこの神社のものかわからないものもあった。
お守りは、授かった社にお返しするのが基本とされる。ただ、遠方であったり、どこのものか分からない場合は、近くの社の古札納所に納められることが多い。事前に確認すると確実だ。
「返したら、引き出しが空いたんです。それだけなんですけど」
そこに、六年使った財布を入れた。買い替えは、結局しなかった。
厄が明けて
取材したのは、後厄が明けた年の春だった。
ゆかりは、まだ同じ財布を使っていた。角の白さは、さらに広がっていた。
「今年、買おうと思ってます」
なぜ今なのかと聞くと、こう答えた。
「置く場所ができたので」
厄年に、買わずにできること
厄年に何かを買うことを否定するつもりはない。祈祷を受けることも、お守りを受けることも、気持ちが定まるなら意味がある。
ただ、順番として、先に手放すほうが効きやすいと私は思っている。
年の初めに、こう自問してみるといい。
いま自分は、置く場所があるのか。
数え年の数え方だけ、間違えないようにしてほしい。元日で一つ足す。それだけだ。満年齢で数えて、厄年を一年間違えたまま過ごす人が、毎年かなりいる。
開運図鑑・第5回は、〈天中殺〉と言われた三年間の話。「動くな」と言われた期間に、彼女がひとつだけやめなかったことを追います。
✦ この記事のまとめ
厄年は「何かを買って備える年」として語られがちですが、数え33の彼女に効いたのは買い足すことではなく、手放すことでした。
厄年に当たる年齢は、住まい・仕事・家族の節目が重なりやすい時期でもあります。荷物が最も増えている年だと考えると、備え方の向きが変わります。


