「自己肯定感が低くて」

この言葉を、よく耳にするようになった。

言葉が広まったのは悪いことではないと思う。ただ、副作用もある。

著者名の藤本環は、本メディアの創作上のペルソナです。実在の鑑定者による経験談ではありません。詳しくは運営者情報をご覧ください。

上げようとすると、測ることになる

私は、副作用はここにあると考えている。

上げようとする取り組みは、上がっているかを毎回測る。

測れば、上がっていない状態が可視化される。可視化されると、また低いと感じる。

自己肯定感を上げるための行動が、そのまま「自分は低い」と確認する作業になってしまう。

熱心にやっている人ほど、この循環に入りやすい。

比べる相手が多すぎる

もうひとつ、構造的な問題がある。

比べる相手の数が、昔とは比較にならない。

同じ職場、同じ学校の範囲で比べていた時代と、画面越しに何百人の生活が見える時代では、前提が違う。

低いのではなく、測る母数が大きすぎる。

これは性格の問題ではないし、努力で解決するものでもない。

数秘を「良し悪し」で読まない

こういう文脈で数秘を使うと、ありがちな読み方に流れやすい。

「この数字は良い」「この数字は弱い」という読み方だ。

私はこの読み方をしない。数秘の数字に優劣は無い。

代わりに使うのは、この言い方になる。

その数字は、どこに置かれると力が出るか。

持ち場として読む

数秘には、生年月日から出す数字がいくつかある。よく使われるのは、生年月日を全部足して一桁にしたもの(運命数などと呼ばれる)になる。

その数字を、性格の説明としてではなく、持ち場の説明として読む。

たとえば、こういう読み替えになる。

  • 人の前に立つと力が出る数字か、後ろで支えると力が出る数字か
  • 決める役割か、整える役割か
  • 広く動く型か、一点を深める型か

どれも上下ではない。置かれる場所の話になる。

なぜ持ち場で読むと楽になるか

理由は単純だ。

持ち場が違えば、比べられない。

前に立つ人と、後ろで支える人を、同じ物差しでは測れない。物差しが分かれた瞬間に、比べる相手が激減する。

自己肯定感を上げるのではなく、測る対象を減らす。私はこちらのほうが現実的だと思っている。

合わない持ち場にいると起きること

これは以前、正財と偏財の話や一人の時間の話でも書いたが、構造は同じになる。

合わない持ち場で消耗しているとき、人はそれを自分の能力の低さだと解釈する。

前に出るのが得意ではない人が、前に出る評価軸の場所にいる。成果が出ない。自分は劣っていると考える。

劣っているのではない。場所が合っていない。

自己肯定感が低いと感じているとき、実際にはこの状態にいることもある。

恋愛の場面で

この話が恋愛に効いてくる場面がある。

相手に合わせて持ち場を移してしまうことがあるからだ。

支えるのが得意な人が、引っ張る役を求められて無理をする。決めるのが得意な人が、合わせる役に回って言葉を飲み込む。

一時的には成立する。長くは続かない。

自分の持ち場を知っておくと、合わせる前に気づける。合わせないという意味ではなく、どこまでが無理のない範囲かが分かる。

数字を出す手順

生年月日を、すべて一桁になるまで足す。

たとえば一九九〇年七月十二日なら、1+9+9+0+7+1+2 = 29、2+9 = 11、1+1 = 2 になる。

11や22をマスターナンバーとして扱う流派もあるので、そこは見る本に合わせる。

年ごとの流れを見たい場合は、パーソナルイヤーのほうが使いやすい。生まれ年を使わないので出しやすい。

それでも重いとき

気持ちの落ち込みが長く続いている場合、数字の読み替えでは足りない。

その場合は無理をせず、専門の相談先を頼ってほしい。占いは、そこを代替するものではない。

今週やること

自分の数字を出して、説明のうち「置かれる場所」に関わる部分だけを読む。

長所や短所として書かれている部分は、いったん飛ばしていい。

そのうえで、いまいる場所がその持ち場に合っているかを考える。合っていないなら、上げるべきは自己肯定感ではないかもしれない。

✦ この記事のまとめ

自己肯定感を上げようとする取り組みは、上がっていない自分を毎回測ることになるため、かえって疲れることがあります。

数秘は優劣を測る道具ではありません。自分の持ち場がどこかを示すものとして読むと、比べる相手が減ります。